2021年07月13日 117 どこから空を 泥水に体を浮かべて悠々と飛ぶ飛行機を眺めている人がいる。頭の中は自由、と呼ぶほどには自由ではない。そういう意味で自由なのだ。体は泥水に頭は青空に。人は空想する。さて、私は飛行機かもしれない。大空を駆け巡る自分がいる。あそこにいるのは、私からここにいるのは、私、へ。ここが、私の起点。コロイド状の脳みそは、そのような空想の力を借り澄んでいくのだ。でも、ある時得た生身の体の感覚が飛行機を人の体めがけて墜落させ、気づけば再び泥水の中。清々しい大空をどこから見るのかそんなことさほど重要ではないのだけど。そのような様子がいつも思い浮かぶ。
この記事へのコメント