齧る
干し梅みたいになっとるなあと思う
わたしのこころ
ちょっと硬くなった果肉
ちびちび齧りながら
夜の音聞いてる
こころなんてなくなってしまえばいいのに
と思うんだけど
わたしがわたしであるのって、
このこころがあるからなんだろうし
なくなってしまったら
それはわたしではなくなる、
ということなんだよと
たとえ
わたしがなくなってしまっても
世界は回る
これは非常にありきたりの言い方なんだけど
ただこれは
投げやりな言い方ではなく
だからこそ
わたしは安心して
わたしでいられるのだろうという
救いでもあるわけ
わたしがどう感じようと
わたしが消えてしまおうと
世界の美しさは変わらないわけで…
これは多分
愛
干し梅みたいなわたしのこころ
齧るの飽きるから
またちびちびと、
世界を齧りたくなるわけよ
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